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イースター島(チリ)

2007年12月09日
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ラパ・ヌイ(Rapa Nui)は、チリ領の太平洋上に位置する火山島。正式名は、スペイン語でパスクア島(Isla de Pascua)。英語ではイースター島(Easter Island)。日本では英語の呼称である「イースター島」と呼ばれることが多い。

モアイの建つ島として有名。ポリネシア・トライアングルの東端に当たる。周囲には殆ど島らしい島が存在しない絶海の孤島である。ラパ・ヌイとはポリネシア系の先住民の言葉で「広い大地」という意味。

[編集] 歴史
4世紀頃から、同じポリネシアのマルケサス諸島から渡ってきた人が、イースター島に暮らすようになったといわれている(年代については3世紀から9世紀まで諸説あり、はっきりしていない)。化石や花粉の研究から、当時のラパ・ヌイは、世界でも有数の巨大椰子が生い茂る、亜熱帯性雨林の島であったと考えられている。初期のヨーロッパ人来航者は、「ホトゥ・マトゥア」という首長が2艘の大きなカヌーでラパ・ヌイに入植したという伝説を採取している。


モアイ像10世紀頃から、モアイの製作が始まる。当時彼らの作ったモアイや墳墓、石碑など考古学上極めて重要な遺跡が数多く残されている。人口も増加し、最盛期では1万5千人を超えていたと見られる(人口についても6千人から3万人まで諸説あり)。

その後、モアイ製作やカヌー製造、農耕の拡大などで伐採が進み、島全体から森林が消えてしまう。その結果、表土が流出し、農地は荒れ果て、また木材が不足してカヌーの生産にも支障が出たことから大規模な飢餓が発生。そのためもあり、16世紀から17世紀にかけて部族間の紛争が起こり、モアイの破壊合戦が起こる(一説ではあるが、耳長族がモアイの製作を行っていた耳短族に無理な要求を行い、それに反発した耳短族との間で、 モアイ倒し戦争が勃発したと伝承されている)。この時代、人口は激減し、伝承によれば人肉食さえ横行していたとされる。

1722年、オランダ海軍提督、ヤコブ・ロッゲフェーンが発見。発見した日がイースターであったため「イースター島」と名前が付いたといわれている。1774年には、イギリス人探検家のジェームス・クックも上陸している。クックの上陸当時は、島のモアイの半数ほどがまだ直立していたという。なお、伝承では1840年に最後のモアイが倒されたとされる。

18世紀から19世紀にかけて、住民らが奴隷として連れ出されたり、ヨーロッパ人などにより外部から持ち込まれた天然痘が猛威を振るったりした結果、島の人口はさらに激減し、先住民は絶滅寸前まで追い込まれた。1872年当時の島民数は、僅か111人であった。1888年にチリ領になり現在に至る
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南米 チリ | コメント(0) | トラックバック(0)
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