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コパン遺跡(観光)

2007年12月29日
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ホンジュラスを代表するコパンのマヤ遺跡は、グアテマラとの国境近くの高台にある。

紀元前500年頃から紀元後1000年頃にかけて、マヤ南部低地域の政治・経済・文化の中心的な存在として、コパン川渓谷で繁栄した遺跡である。

コパンでは5~9世紀にかけて絢爛たる芸術文化が花開いた。
コパン遺跡の特徴はマヤ神聖文字の石段や、王一族をモチーフにした繊細な「高浮き彫り」、そして石造建築群である。特にこの地域を支配した王たちの姿を描写した「高浮き彫り」石碑(ステラ)はコパン独特の技術で作られ、「アメリカ大陸のアテネ」と称されている。

「世界一難解なジグゾーパズル」といわれた神聖文字の補修工事

コパン遺跡の入り口から最初の見学場所であるグラン・プラザ(大広場)までは150mほどあり、道の左側には、日本の皇太子がコパン訪問の際に植樹した木があった。グラン・プラザにはマヤ古典期、コパン芸術の粋である「高浮き彫り」の石碑が点在している。仏像によく似た彫刻がいくつもあり、まるでガンダーラ仏教美術のようだ。

この広場に林立する12の石碑のうち5つが「18ウサギ王」と呼ばれる第13代の王・ワシャクラフン・ウバフ・カウィルの治世下(8世紀前半)に作られた。

この王はコパン最強の王のひとりで、コパン芸術の後見人といわれた。特に石碑Aと石碑Bが芸術性も高く有名である。遺跡ガイドの長老アントニオさんは、「18ウサギ王の時代に、コパンは最も成熟期を迎えます。

しかし、彼の治世の頃から滅亡のきざしがありました」と語る。確かに、新興都市キリグアに滅ぼされるのだ。広場の南隣りにはマヤの遺跡ではおなじみの球戯場がある。古代マヤ人は2組に分かれてゴムのボールを蹴りあい、サッカーと蹴鞠を合わせたような奉納球技をしていたと想像される。

この球戯場の東南に、アクロポリスに続く「神聖文字の階段」がある。高さ約30m。63段の階段ひとつひとつに、コパンの歴史が2500ものマヤ神聖文字で詳細に刻まれているのだ。

古代アメリカ大陸の最長の碑銘記念物で、初代のヤシュ・クック・モ王に始まる壮大なコパン王朝の歴史。第15代王カック・イップ・ラフ・カアン・カウィルが755年に完成させたということがわかっている。現在でも研究が進められているが、風雨による劣化を防ぐために大型のテント屋根が石段の上に張られていた。

「発見当時、石積みはバラバラになっていまして、神聖文字を合わせていく石段の補修工事は『世界一難解なジグゾーパズル』と言われたほど」とアントニオさんは語る。

東広場に隣接する神殿16は現在も発掘、補修工事が進み、1989年の調査中にロサリラと呼ばれる地下神殿が発見された。その前にある四角い石の彫刻「祭壇Q」には歴代王16名のすべての姿が刻まれており、最後の王であるヤシュ・パサフが776年に作ったものといわれている。

数あるマヤ遺跡のなかでも、王朝の創始者から歴代の王朝が石碑やその他の資料から証明されているのは、現在のところこのコパンだけだ。1980年、コパンはユネスコ世界文化遺産に登録された。

【行き方】
コパン遺跡へはサン・ペドロ・スーラから定期バスでコパン・ルイナスの町までいき、そこから徒歩で訪問可能。また、グアテマラからエル・フロリド国境を越えて訪れる方法もある。

コパン・ルイナスには一泊 100 レンピラ程度の宿から、プール付きのホテルまで、宿泊施設は豊富にある。

首都 テグシガルパからの直行便はないが、ペドロスーラ行きのバスが、
乗り継ぎでコパン・ルイナスへアクセスできる。
所要8時間。

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中米 ホンジュラス | コメント(0) | トラックバック(0)
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